2002年11月04日

2つの"Trauma"と「リベンジ」

ayuはずっと2つの大きなTraumaを抱えてきたとじょいじょいは思っている。
その2つとは「不幸な家庭」と「女優としての挫折」だ。
この2つのTraumaは陰に陽に現在のayuの行動や決断に影響を与えていると思われる。
ayuの半生に「完成」というものがあるとしたら、それは単に「ソングアーティスト」としての成功によって達成されるのではなく、この2つのTraumaを克服し、「リベンジ」を果たすことができたときに初めて達成するだろうと思ったりもする。

■「不幸な家庭」と人格形成

「不幸な家庭」については、いろいろな場面でayu本人が言及している。(ラジオ「オールナイトニッポン」特番「浜崎あゆみはバカじゃない」、音楽雑誌「ロッキング・オン」、雑誌「Free & Easy」別冊「浜崎共和国」、その他、複数の雑誌のインタビューなど)
まだ物心付くか付かないかのある日の朝、父親が普通に会社へ出勤するように車に乗って出ていく。ayuはそれを眠い目をこすりながらぼんやり窓越しに見るだけだったが、実はそれが父親を見る最後となる。
幸せな日々からのこの突然の不幸は、「teddy bear」の題材としても取り上げられているように、ayuにとって非常に大きな出来事だったようだ。

興味深いのは、ayuがこの出来事を述懐するときに、不思議と自分を捨てていった父親への怒りや不平が感じられないことだ。両親の離婚の原因は結局明かされなかったようだが、本来その一端は父親に向けられていいはずの不満まで、すべて母親への「愛憎」に転嫁されているように見える。
あの寝耳に水の離婚劇も、問題は、父親が突然いなくなったことではなく、父親がいなくなるのをあらかじめ知っていながら、母親がそれを知らせてくれなかったことにあると感じているようだし、その後の生活も、片親だからということが問題なのではなく、母親が父親代わりを演じてくれるどころか、世間並みの母親の役割すら十分に果たしてくれなかった(と少なくともayuには感じられた)ことがayuには我慢ならなかったようだ。

母親でありながら、いつも「女」であることばかりを強調して生きていく母親に、ayuはずっと鬱積したわだかまりを抱いていた。着飾り、若作りをしてしばしば遊びに行く、家にいても母親らしいことはしない、できない、学校に子供のことで呼び出しを食らっても、「お腹が痛い」といって最後の最後ですっぽかし、担任から「お前もあんな親を持ってたいへんだな」と変な同情をされる、近所の同級生の親には「あそこの家と付き合うな」と釘を刺される、男の子に泣かされて帰ったら、「泣いちゃだめだ、やられたらやり返してやれ」と突き放される...
そうやってayuは人見知りのする、ひとり遊びの好きな女の子、協調性に欠け、クラスから浮きがちな生徒になっていったし、その後の社会生活でも事あるごとに閉塞状況に直面することになるが、そうなった原因の幾ばくかを(かなりの部分を)この母親との不幸な家庭のせいと考えていたふしがある。

ただ、ここで念を押しておきたいのは、そんな母親への憎悪だけがayuの心を支配しているわけでは決してないということだ。肉親への愛情と思慕が根底にあり、女手ひとつで世の中を果敢に渡っていった人生の先輩として尊敬もしているに違いない。いや、だからこそ、両親の離婚と母親への不満が深刻な「Trauma」としてayuの心に突き刺さっているともいえる。

「A Song for XX」はまさにその「愛憎」の止むにやまれぬほとばしりであり、「マミー」への赤裸々な告白であり、自分のそれまでの前半生への「レクイエム」といえる。そうやってayuは過去の自分を葬り去り、新たな、それまでの自分とは全く別の自分への一歩を踏み出そうとした。
この新たな旅立ちは、アーティストとしての成功とスタッフの暖かいサポート・理解によって、何とか軌道に乗せることができたようにも見える。しかしそれから2年後、「teddy bear」で再び同じテーマが取り上げられたときayuのTraumaの大きさを改めて実感させられることになる。もちろん、創作はあくまで創作であって、実体験がその作品にどこまで込められているかは本人にしか分からないので、割り引いて考える必要はあるのだが・・・
おそらく、「不幸な家庭」のTraumaを真の意味で解消することは、「幸福な家庭」を作り上げることでしか成し遂げられないのかもしれない。

■「女優としての挫折」

幼少期から少女期のことは比較的おおっぴらに語っているが、女優時代のことはほとんど語ろうとしない。したがって、私の評論も傍証あるいは又聞きからの憶測の域を脱しないが、真実とそれほどかけ離れてはいないだろうと思う。

女優としてのayuは一見華々しい成果を上げていたように見える。しかし、実際には、さまざまな理由が絡み合って、次第に閉塞状況に追い込まれていったようだ。
アイドル事務所での不本意なグラビア・アイドル活動。自分の意志を捨てて、男や権力者に媚びを売り、ひたすら「顔にアホと書いてある女」(「ロッキング・オン」誌でのayu自身の言葉)たちのひとりとして振る舞うことが要求される世界。女優業にしても、いつも脇役で主役が回ってこない、そのくせ主役の女優が必ずしもayuより実力的に優れているとは思えないばかりか、陰で下っ端いじめや無理難題の小間使いを強いる、すべてが脚本家や演出家や監督の意のままに決定され、自分の意志が聞き入れられるすべもありそうにない・・・
そして最も本質的な問題点は、ayuの対人関係調整力の無さ、つまり、人づきあいがうまくできないというところにあったのではないかとじょいじょいは思う。
そんなこんなで、ayuは次第に芸能活動に情熱を失っていき、生きている目標も見失っていった。
その後、MAX松浦専務と出会って、歌手という新たな人生の目標を獲得したのは皆の知るところだ。

■Traumaの克服に向けて

いま、ayuはこの2つのTraumaを克服し、人生の「リベンジ」を果たす契機をつかみつつある。
言うまでもなく、「幸せな家庭」の方はTOKIOの長瀬くんとの恋であり、「女優としての成功」は、歌手としての成功の延長線上で、ayu主演映画の制作が現実味を帯びて関係者の間で語られていることを言っている。

「不幸な家庭」の克服については、長瀬くんとの関係がこのまま続けば、遠からずその「入り口」を獲得することができるに違いない。ただ結婚は「幸せな家庭」への「入り口」であるとともに、ayu同様の不幸な子を生み出す「不幸な家庭」への「入り口」でもある。「入り口」に入らなければ、「不幸な家庭」の二の舞を演じてしまうという最悪の事態に陥る危険もない。ayuがその危険の前に尻込みしてしまうか、それとも果敢に「リベンジ」をねらうか、また果敢に踏み出したとして、そのとき、子供には決して自分と同じ思いをさせたくないという思いが、自らを家庭の中に閉じこめてしまうことになるのか、それともあくまで家庭と仕事を両立させようと努力するか、大きな大きな人生の決断を迫られることになるだろう。

「女優としての挫折」の克服については、最もあり得るのは、「主演女優」としての成功によってリベンジすることだろう。しかし、その成功は純粋に「女優」としての成功とは言えないかもしれない。いまやayuにはさまざまな「尾ひれ」や「冠」がついており、敢えて誤解を恐れずいうなら、「何をやってもOK」状態だろう。その余勢を駆って「主演女優」に挑戦すれば、少なくとも「失敗」の烙印を押されることはまずないといっていいと思う。いわば「出来レース」状態であり、勝負は始めから見えている。(2ちゃんねるでは相変わらずayuバッシングの格好の標的になるだろうが)

ただ、特筆すべきは、ここにきて、これら2つのトラウマ自体が急速に解消されていっているように見えることだ。ayuのアーティストとしての成功が、ayu自身の心の成長と、社会との穏やかな融和の、ちょうどよい触媒となったのかもしれない。
2001年4月時点の「ロッキング・オン」のインタビューでは、Traumaの存在とそれに対する「リベンジ」への執念をあからさまにしていたayuが、1年後の「浜崎共和国」では、自分の過去について「誇りを持っている。例えば幼い頃の自分の家庭の環境とかを、私は不幸だとか可愛そうだとは一度も思ったことないし、今でも思っていない。結果グレてしまったことに対しても、私は悪かったとか、反省したこともない」と述べているし、「あゆの生き方って何かに復讐してるの?」というインタビューアの質問に「(母親に対して)前はそうだったかな?うん。今はもうしてない」と答えている。
(ちなみに前者の自分の過去への誇りについては、実は1998年末のオールナイトニッポンの中でも述べている。しかし、オールナイトニッポンでの言葉は、自分の過去、認めたくない自分への嫌悪の裏返し、強がりだと私には思われる。一方、同じような言葉でも「浜崎共和国」のそれには、ある種の余裕が感じられる。いや、これは私の単なる思いこみに過ぎないかも知れないが)

以前なら、ayuはきっと、今のこの歌手としての成功をバネにして、2つのトラウマを強引にでも消し去ってしまおうという強い欲求に突き動かされていたに違いない。そして皮肉にもそれが創作活動の原動力であり、ファンを引きつけるayuの魅力でもあった。
しかし、いまのayuはもはやそれほどの欲求に突き動かされなくなっているように思われる。Traumaは少しずつだが確実に消滅に向かっている。もしもそうだとしたら、アーティストとしてのayuにとっては創造のタネを失うという意味で、ある意味、残念といえるが、ひとりの生きた人間として見れば、それはayuにとって、とても好ましいことだと思うのだ。
ayuloveayu at 00:00 │Comments(0)TrackBack(0)ayuのピリ辛いため 

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