2006年09月25日
この数年間言いたくて言えなかったこと
このサイトの最大の売りと自負していた「ayuのピリ辛いため」の更新が滞って4年くらいになる。
これくらい長きにわたるともはや「日々忙しいから」というのは書けない理由にはならないだろう。
懸命な読者であれば、そこにもっと根本的な問題が横たわっていることに気づいているはずだ。
言いたいことは山ほどある。しかしそのほとんどすべてはayuに対する失望であり批判であり「ダメ出し」になってしまう。
しかもそれらは多分に感覚的なもの、感性的なもの、きわめて個人的なものになるので、おそらく熱狂的なayuファンから批判や抗議を浴び、結論の出ない論争へとつながるだろう。
「ピリ辛」だからこそウィットに富み、明日への希望を内包しているのだが、「超激辛」では痛みだけを伴いそこに未来は見えない。
しかし何らか声を発しなければならないことも事実だろう。ayuの小さくないファンサイトの主宰者として。
だから今日は言いたかったことの数十分の一でも言わせてもらおうと思う。
ただし反論等は一切受け付けるつもりはない。不毛の議論と「〜だったらファンサイトなんてやめてしまえ」という結論しか導かないだろうから。
前置きが長くなったが本題に入ろう。
ayuは「パフォーマ」として成長した。これは認める。
しかし「ミュージシャン」としては結局十分に成長できなかった。(現時点での「過去形」「現在完了形」であり今後の成長の可能性を否定するものではない)
そして私がayuに望んでいたのは「ミュージシャン」として超一流になってくれること、あるいはそうあるべく努力してくれることだった。
これが私の失望の要約になる。
ここで「ミュージシャン」という言葉の意味が重要になってくる。しかし私は理論家ではないし、ピリ辛いためは学術論文でもなんでもなく、感性の赴くままに書いているので、ちゃんとした定義などできそうもない。
ただあくまで感性的に定義すると、ayuはボーカルとして「主戦場」に挑んでいるので、ayuに関していえば、「ミュージシャン」とは、「歌詞」を「楽曲」に乗せ、「ボーカル」という楽器をメインパートにして、伝えたい主張や感動、感性を聴き手に伝え、芸術的な感動を呼び起こす専門家をいう。
ここで重要な評価ポイントは、「歌詞」、「楽曲」、「ボーカル」、「アレンジ」、そして根本にある「伝えたいことそのもの」である。
このうち、「楽曲」と「アレンジ」は今も昔も変わらないと思っている。ayuは初期から比較的潤沢に優秀な作曲家、編曲者を選べる立場にあった。これは多分にMAX松浦氏のおかげであり、売れるようになってからは自らのエイベックスに対する貢献度に応じてたくさんの候補の中から選択できる立場にあったと思われる。
問題は「歌詞」と「伝えたいこと」、そして「ボーカル」になる。
今のayuに切実に「伝えたいこと」はあるのだろうか?
少なくとも私にはそれが感じられない。
強いて挙げるなら、ともに高揚したステージを作り上げる一体感の共有だろうか?
それはまさに「パフォーマ」の特性そのものだ。
しかしそんなものは私の望むものではない。
この伝えたいことの欠落感がそのまま「歌詞」のマンネリ化にもつながる。
ayuを昔から知る者ならたいていが実感しているのがこの「歌詞のマンネリ化」だろう。
以前の歌詞には、その道を志す者を「どきっ」とさせる言葉が随所に散りばめられていた。
それは手垢にまみれていない新鮮な言葉たちであり、しかもそれらは「伝えたいこと」を効果的に伝えることのできる共通言語の役割を見事に果たしていた。
聴き手はその言葉に出会うことで、同じ内的体験を共有するアーティストと巡り会えたことを実感し深く共鳴する。
しかしもはや最近のayuの詞にはそのような「痛いトゲ」だったり「キラリと光る原石」を感じ取ることができない。
昔と同じ主旨の作品なら今でもときどき見受けられる。しかしそこに流れるものは変容してしまっている。もはや昔のような「魂の切実な叫び」は見いだし得ない。
アーティストは変っていくものだ、そしてファンは、変っていくそのときどきのアーティストに付いていく、ひとりひとりのファンは自分がファンになったときのアーティストのままでいて欲しいと思うが、そうやってファンは皆前へ進むアーティストに置きざられていく、という趣旨のことを私はずっと以前にこのピリ辛いためで書いた。
そしてそれは今でも間違いではないし、それがまさにファンとしての私自身にも当てはまっていることも自覚している。
しかし一方で、ayuは単に前進し私を置き去りにしたというに過ぎないのだろうか?という疑問が実はある。
「伝えたいこと」のなくなった「アーティスト」はもはや「アーティスト」ではなく「パフォーマ」に過ぎないだろう。そういう自称「アーティスト」は「アーティスト」からはきっと「アーティスト」仲間とは認められないことになるだろう。ayuがそうではないことを祈るばかりである。
以上、「歌詞」と「伝えたいこと」について述べた。
残りは「ボーカル」になる。
私は「ボーカル」は非常に重要な要素だと考える。
音楽は広い意味で「心地よい」ものでなければならないというのが私の信念である。「心地よい」という感覚にもかなり幅があるが。
その「アーティスト」が売れるか売れないかのある最低の基本ラインはそのボーカルの「心地よさ」にあると考える。
その「心地よさ」が必ずしも一般的な「歌の旨さ」や「声の良さ」に比例しない難しさはあるが…
何にせよ「ボーカル」のためには「声」という楽器を日々ちゃんと整備し調整するとともに、これは普通の楽器には見られないことだが、よりよいものに改良し成長させることが望まれる。
もちろん、多くの歌手がそうやって日々成長しているとは決していえない現状がJ-POPやJ-ROCKの世界にはあるというのも事実かもしれない。
しかしそんな低次元な通例に流されてしまっていいわけはない。
少数だがちゃんとした「ボーカリスト」は日々精進を重ね、年をとってもきらめきを失わないで私たちファンをずっとファンでいさせてくれている。
ayuにはそういうアーティストの一員になってほしかった。
そしてそのためにayuが超えなければならないハードルは結構高いものがあったと考える。
ayuはデビュー当時から「表現者」としてはある程度天賦の才があったのではないかと思うが、純粋な力量からいうと、声質も声量も歌の旨さもまだまだ初心者同然だったし、もともと喉が弱いという弱点があった。
ayuはある時期から自分のハスキーボイスをむしろ個性と解釈し肯定的にとらえるようになった節がある。ものごとを前向きにとらえるということ自体は良いことなのだが、どうもそれをよくない方向にはき違えてしまった嫌いがある。いやむしろそちらに逃げ込んだのかもしれない。
初期の頃から確かにayuの独特のハスキーボイスはある種の「心地よさ」を内包しており、その魅力はアルバム『LOVEppears』の頃に頂点を迎えたように思う。
しかしそれはハスキーボイスの悪い点をないがしろにしてよいということではなかったはずだ。
ハスキーボイスの良い面を維持しつつ欠点を克服する努力が必要だった。
しかし現実はその頃から始まる過酷なツアーに翻弄されて、ただ声を駄目にし、ハスキーボイスの悪い面だけを残し強調する結果となってしまった。
変容してしまったのは「声質」そのものだけではない。「声質」の変容に伴って、おそらくそれをかばう、あるいはカバーするために変な癖のついた歌い方に陥ってしまった。『LOVEppears』のころまでの素直で直線的な歌い方は影を潜め、奥行きのない薄っぺらな発声に、振幅の大きい一見大家風のしかし冷静に聞けば鼻につくビブラートを駆使するように変っていった。
私の周囲にいる、ファンでもアンチでもない人々はどうも彼女のあの声と歌い方に本能的に近い嫌悪感を抱いているようだ。
「ようだ」と書いたが実は私もそういう部分がある。
残念ながら今の彼女の歌い方ではどんなにすばらしい曲でも、純粋な感動と何度も聞きたいという欲求を多くの人々に喚起することは難しいだろう。
ayuはJ-POPの世界で数々の金字塔を打ち立てた。
それらの多くは今後も破られることがないだろう。
これは否定しようのない事実だし、それはフロックでもトリックでもなく、紛れもなく彼女が超一流のアーティストとして数年間に渡り一般に高く支持された証だと思う。
しかしその名声は純粋に「アーティスト」としてのそれというよりは、ルックスとか、それと透徹した大人の詞の世界とのギャップ感とか、職業人として自分にも他人にも厳しい姿勢を貫き通す潔さなどを含めた総合的な評価といった方が正しいだろう。
ちょうど小泉首相が満足すべき成果を上げていないにもかかわらず支持率はそこそこのものをとっているのに似ているかもしれない。
そして支持率が高いからといって、自分のとった選択肢がすべて正しいんだと正当化し現状に甘んじ、欠点を補ったり長所を伸ばす努力を怠ることは、支持してくれた人々を裏切ることになる。
支持してくれた人々それぞれは必ずしも「すべてが善し」として支持を表明したわけではないのだから。
このままだと遠い将来の人々が「この浜崎あゆみという歌手が当時なぜこれだけの前人未到の記録の数々を作り上げることができたのか、どうしても理解できない」と首をひねっている姿さえ私の脳裏には思い浮かんでくる。
ちょうど天地真理が当時なぜあれほど若者たちに熱狂的に支持されたかが今となっては全く理解できないのと同じように。
私はこのようなファンサイトを経営しているので、もちろん、ayuのCDやDVD、出演するTVや雑誌のほとんどに耳目を通している。しかし、ここ数年間、TV出演時の出来に満足できたことは一度もない。
先日のミュージックステーション20周年スペシャルにayuは出演しなかったが、過去の映像が流れた。それは「Fly High」を歌ったシーンだったが、音程が合わず、声も全く出ておらず、穴があったら入りたい心境だった。それを尻目に他のアーティストたちが凛として歌っているのを見ると、とても悲しい気持ちになった。
aikoが生出演して、花王ハミングCMでおなじみの「瞳」を歌ったが、彼女はまさに「アーティスト」と呼ぶにふさわしい歌いぶりを披露してくれた。
結局のところ、私がいまピリ辛いためを書くとこのような書き込みになってしまう。だからこの4年間くらい、なんだかんだと理由を付けて書くのを控えてきた。
しかし、そのようにだんまりを通しているのにもある種の罪悪感を感じずにはいられなかった。また、この4年間、ayuに改善の兆しが見えることを期待してじっと待っていたということもある。
しかし、その兆しもどうやら当分見えそうにもない。
それで今日、ayuの誕生日の押し迫ったこの時期に敢えて私の正直な現在の心境を吐露させていただいた。
ただ、これから先もayuを応援し続ける気持ちは全く変らないことも表明しておきたい。もはやayuは自分の家族のようなものなので。
これくらい長きにわたるともはや「日々忙しいから」というのは書けない理由にはならないだろう。
懸命な読者であれば、そこにもっと根本的な問題が横たわっていることに気づいているはずだ。
言いたいことは山ほどある。しかしそのほとんどすべてはayuに対する失望であり批判であり「ダメ出し」になってしまう。
しかもそれらは多分に感覚的なもの、感性的なもの、きわめて個人的なものになるので、おそらく熱狂的なayuファンから批判や抗議を浴び、結論の出ない論争へとつながるだろう。
「ピリ辛」だからこそウィットに富み、明日への希望を内包しているのだが、「超激辛」では痛みだけを伴いそこに未来は見えない。
しかし何らか声を発しなければならないことも事実だろう。ayuの小さくないファンサイトの主宰者として。
だから今日は言いたかったことの数十分の一でも言わせてもらおうと思う。
ただし反論等は一切受け付けるつもりはない。不毛の議論と「〜だったらファンサイトなんてやめてしまえ」という結論しか導かないだろうから。
前置きが長くなったが本題に入ろう。
ayuは「パフォーマ」として成長した。これは認める。
しかし「ミュージシャン」としては結局十分に成長できなかった。(現時点での「過去形」「現在完了形」であり今後の成長の可能性を否定するものではない)
そして私がayuに望んでいたのは「ミュージシャン」として超一流になってくれること、あるいはそうあるべく努力してくれることだった。
これが私の失望の要約になる。
ここで「ミュージシャン」という言葉の意味が重要になってくる。しかし私は理論家ではないし、ピリ辛いためは学術論文でもなんでもなく、感性の赴くままに書いているので、ちゃんとした定義などできそうもない。
ただあくまで感性的に定義すると、ayuはボーカルとして「主戦場」に挑んでいるので、ayuに関していえば、「ミュージシャン」とは、「歌詞」を「楽曲」に乗せ、「ボーカル」という楽器をメインパートにして、伝えたい主張や感動、感性を聴き手に伝え、芸術的な感動を呼び起こす専門家をいう。
ここで重要な評価ポイントは、「歌詞」、「楽曲」、「ボーカル」、「アレンジ」、そして根本にある「伝えたいことそのもの」である。
このうち、「楽曲」と「アレンジ」は今も昔も変わらないと思っている。ayuは初期から比較的潤沢に優秀な作曲家、編曲者を選べる立場にあった。これは多分にMAX松浦氏のおかげであり、売れるようになってからは自らのエイベックスに対する貢献度に応じてたくさんの候補の中から選択できる立場にあったと思われる。
問題は「歌詞」と「伝えたいこと」、そして「ボーカル」になる。
今のayuに切実に「伝えたいこと」はあるのだろうか?
少なくとも私にはそれが感じられない。
強いて挙げるなら、ともに高揚したステージを作り上げる一体感の共有だろうか?
それはまさに「パフォーマ」の特性そのものだ。
しかしそんなものは私の望むものではない。
この伝えたいことの欠落感がそのまま「歌詞」のマンネリ化にもつながる。
ayuを昔から知る者ならたいていが実感しているのがこの「歌詞のマンネリ化」だろう。
以前の歌詞には、その道を志す者を「どきっ」とさせる言葉が随所に散りばめられていた。
それは手垢にまみれていない新鮮な言葉たちであり、しかもそれらは「伝えたいこと」を効果的に伝えることのできる共通言語の役割を見事に果たしていた。
聴き手はその言葉に出会うことで、同じ内的体験を共有するアーティストと巡り会えたことを実感し深く共鳴する。
しかしもはや最近のayuの詞にはそのような「痛いトゲ」だったり「キラリと光る原石」を感じ取ることができない。
昔と同じ主旨の作品なら今でもときどき見受けられる。しかしそこに流れるものは変容してしまっている。もはや昔のような「魂の切実な叫び」は見いだし得ない。
アーティストは変っていくものだ、そしてファンは、変っていくそのときどきのアーティストに付いていく、ひとりひとりのファンは自分がファンになったときのアーティストのままでいて欲しいと思うが、そうやってファンは皆前へ進むアーティストに置きざられていく、という趣旨のことを私はずっと以前にこのピリ辛いためで書いた。
そしてそれは今でも間違いではないし、それがまさにファンとしての私自身にも当てはまっていることも自覚している。
しかし一方で、ayuは単に前進し私を置き去りにしたというに過ぎないのだろうか?という疑問が実はある。
「伝えたいこと」のなくなった「アーティスト」はもはや「アーティスト」ではなく「パフォーマ」に過ぎないだろう。そういう自称「アーティスト」は「アーティスト」からはきっと「アーティスト」仲間とは認められないことになるだろう。ayuがそうではないことを祈るばかりである。
以上、「歌詞」と「伝えたいこと」について述べた。
残りは「ボーカル」になる。
私は「ボーカル」は非常に重要な要素だと考える。
音楽は広い意味で「心地よい」ものでなければならないというのが私の信念である。「心地よい」という感覚にもかなり幅があるが。
その「アーティスト」が売れるか売れないかのある最低の基本ラインはそのボーカルの「心地よさ」にあると考える。
その「心地よさ」が必ずしも一般的な「歌の旨さ」や「声の良さ」に比例しない難しさはあるが…
何にせよ「ボーカル」のためには「声」という楽器を日々ちゃんと整備し調整するとともに、これは普通の楽器には見られないことだが、よりよいものに改良し成長させることが望まれる。
もちろん、多くの歌手がそうやって日々成長しているとは決していえない現状がJ-POPやJ-ROCKの世界にはあるというのも事実かもしれない。
しかしそんな低次元な通例に流されてしまっていいわけはない。
少数だがちゃんとした「ボーカリスト」は日々精進を重ね、年をとってもきらめきを失わないで私たちファンをずっとファンでいさせてくれている。
ayuにはそういうアーティストの一員になってほしかった。
そしてそのためにayuが超えなければならないハードルは結構高いものがあったと考える。
ayuはデビュー当時から「表現者」としてはある程度天賦の才があったのではないかと思うが、純粋な力量からいうと、声質も声量も歌の旨さもまだまだ初心者同然だったし、もともと喉が弱いという弱点があった。
ayuはある時期から自分のハスキーボイスをむしろ個性と解釈し肯定的にとらえるようになった節がある。ものごとを前向きにとらえるということ自体は良いことなのだが、どうもそれをよくない方向にはき違えてしまった嫌いがある。いやむしろそちらに逃げ込んだのかもしれない。
初期の頃から確かにayuの独特のハスキーボイスはある種の「心地よさ」を内包しており、その魅力はアルバム『LOVEppears』の頃に頂点を迎えたように思う。
しかしそれはハスキーボイスの悪い点をないがしろにしてよいということではなかったはずだ。
ハスキーボイスの良い面を維持しつつ欠点を克服する努力が必要だった。
しかし現実はその頃から始まる過酷なツアーに翻弄されて、ただ声を駄目にし、ハスキーボイスの悪い面だけを残し強調する結果となってしまった。
変容してしまったのは「声質」そのものだけではない。「声質」の変容に伴って、おそらくそれをかばう、あるいはカバーするために変な癖のついた歌い方に陥ってしまった。『LOVEppears』のころまでの素直で直線的な歌い方は影を潜め、奥行きのない薄っぺらな発声に、振幅の大きい一見大家風のしかし冷静に聞けば鼻につくビブラートを駆使するように変っていった。
私の周囲にいる、ファンでもアンチでもない人々はどうも彼女のあの声と歌い方に本能的に近い嫌悪感を抱いているようだ。
「ようだ」と書いたが実は私もそういう部分がある。
残念ながら今の彼女の歌い方ではどんなにすばらしい曲でも、純粋な感動と何度も聞きたいという欲求を多くの人々に喚起することは難しいだろう。
ayuはJ-POPの世界で数々の金字塔を打ち立てた。
それらの多くは今後も破られることがないだろう。
これは否定しようのない事実だし、それはフロックでもトリックでもなく、紛れもなく彼女が超一流のアーティストとして数年間に渡り一般に高く支持された証だと思う。
しかしその名声は純粋に「アーティスト」としてのそれというよりは、ルックスとか、それと透徹した大人の詞の世界とのギャップ感とか、職業人として自分にも他人にも厳しい姿勢を貫き通す潔さなどを含めた総合的な評価といった方が正しいだろう。
ちょうど小泉首相が満足すべき成果を上げていないにもかかわらず支持率はそこそこのものをとっているのに似ているかもしれない。
そして支持率が高いからといって、自分のとった選択肢がすべて正しいんだと正当化し現状に甘んじ、欠点を補ったり長所を伸ばす努力を怠ることは、支持してくれた人々を裏切ることになる。
支持してくれた人々それぞれは必ずしも「すべてが善し」として支持を表明したわけではないのだから。
このままだと遠い将来の人々が「この浜崎あゆみという歌手が当時なぜこれだけの前人未到の記録の数々を作り上げることができたのか、どうしても理解できない」と首をひねっている姿さえ私の脳裏には思い浮かんでくる。
ちょうど天地真理が当時なぜあれほど若者たちに熱狂的に支持されたかが今となっては全く理解できないのと同じように。
私はこのようなファンサイトを経営しているので、もちろん、ayuのCDやDVD、出演するTVや雑誌のほとんどに耳目を通している。しかし、ここ数年間、TV出演時の出来に満足できたことは一度もない。
先日のミュージックステーション20周年スペシャルにayuは出演しなかったが、過去の映像が流れた。それは「Fly High」を歌ったシーンだったが、音程が合わず、声も全く出ておらず、穴があったら入りたい心境だった。それを尻目に他のアーティストたちが凛として歌っているのを見ると、とても悲しい気持ちになった。
aikoが生出演して、花王ハミングCMでおなじみの「瞳」を歌ったが、彼女はまさに「アーティスト」と呼ぶにふさわしい歌いぶりを披露してくれた。
結局のところ、私がいまピリ辛いためを書くとこのような書き込みになってしまう。だからこの4年間くらい、なんだかんだと理由を付けて書くのを控えてきた。
しかし、そのようにだんまりを通しているのにもある種の罪悪感を感じずにはいられなかった。また、この4年間、ayuに改善の兆しが見えることを期待してじっと待っていたということもある。
しかし、その兆しもどうやら当分見えそうにもない。
それで今日、ayuの誕生日の押し迫ったこの時期に敢えて私の正直な現在の心境を吐露させていただいた。
ただ、これから先もayuを応援し続ける気持ちは全く変らないことも表明しておきたい。もはやayuは自分の家族のようなものなので。
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この記事へのコメント
1. Posted by ぁゆふぁん
2007年02月26日 16:41
あなたがあゅのファンであることは理解できますが1つ指摘させてください 。fly highを歌っていた当時ゎ喉に病を患っていて、しかも番組終了後には病院に直行したという情報を目にしました。
なので、あゅにも調子がィィ時と悪い時があるというコトを理解してください。
2. Posted by あゆ好きかな?
2007年06月02日 03:32
まったくもって、この題のコメントではないのですが。今、猛烈にあゆの歌が聴きたい、あの時にあゆの歌を聴いていれば…そんな事を思う時ってありませんか?自分は'01から'06迄、あゆから離れていたので、そう思う時がよくあります。あゆの歌に元気づけられたり、悩まされたり、考えさせられたりしていたら5年間は変わっていたの?あゆが好きだったのに、あゆが離れてしまったような、感じを受けて、自分から距離を置いて
3. Posted by あゆ好きかも?
2007年06月02日 03:41
おいてしまったんです。それでも町中であゆはいつも歌っていました。ただかたくなに昔のあゆでは無いと、突き放していたんです。あゆは家族の様なとじょいじょいさんが御自分でおっしゃったのは本心なのでしょうね、もう無かった事にする事は出来ないくらいにあゆの歌が伝えたい事が貴方には伝わっているのでは?もしも?じょいじょいさんが本当にあゆは家族だと思っているのなら、あゆはアーティストです。
4. Posted by あ
2007年07月09日 13:13
じょいじょいさんは神経質すぎると思います!!
5. Posted by masa
2007年07月30日 21:19
まだ最近のことなのですが、こちらのradioトークを読んでayuのファンになりました。
以来、cdを聴いたりdvdを観たりして楽しんでいます。ayuは一生懸命で飾り気無く素直な感じがして、可愛らしいです。
最近はグッと大人の女性になってきましたね。これから私、楽しみです。がんばって欲しいです。
以来、cdを聴いたりdvdを観たりして楽しんでいます。ayuは一生懸命で飾り気無く素直な感じがして、可愛らしいです。
最近はグッと大人の女性になってきましたね。これから私、楽しみです。がんばって欲しいです。
6. Posted by akIo
2008年03月06日 14:02
はじめまして。今日初めてこのサイトを知って、この日記を読みました。
「歌詞のマンネリ化」と「伝えたいこと」の欠落・・・すごくよくわかります。それは私も日々感じています。
ayuの何がいいの?と仲間によく聞かれます。私は歌詞がいい!
と必ず答えます。でも最近は自信を持って歌詞だけとは言えません。
「歌詞のマンネリ化」と「伝えたいこと」の欠落・・・すごくよくわかります。それは私も日々感じています。
ayuの何がいいの?と仲間によく聞かれます。私は歌詞がいい!
と必ず答えます。でも最近は自信を持って歌詞だけとは言えません。
7. Posted by akIo
2008年03月06日 14:04
管理人さんもおっしゃっておられるように、ドキっとする鋭い言葉や、痛いようなでも共感を心から持てるような伝えたい思いがどうも見つからないからです。ありきたりな言葉。ありきたりな恋の歌。。。正直、くだらない。(STEP youを最初聞いた時はどうしようかと思いました笑)
Voyageの頃からでしょうか?ayuが売るための曲を書き出したのは。そんなものはいらない。それから薄っぺらくなってしまいました。言葉は悪いですがそう感じてしまいます。
Voyageの頃からでしょうか?ayuが売るための曲を書き出したのは。そんなものはいらない。それから薄っぺらくなってしまいました。言葉は悪いですがそう感じてしまいます。
8. Posted by akIo
2008年03月06日 14:04
ayuが心から伝えたいことは何なんだろう。
伝えたい詩を書いた曲が、一般受けするとは限らない今だけど、ayuにはもっと、アーティストとして言葉を磨いてほしい。心をもっと研ぎ澄ましてほしい。そう感じています。
ただ、これまでayuと一緒に私は8年間歩んできました。どんな時もayuの声が必ず私のそばにあって、ayuは私にとってもかけがえのない存在です。今、ayuは耳の病をかかえています。でもayuは「MY ALL」を歌ってくれました。
伝えたい詩を書いた曲が、一般受けするとは限らない今だけど、ayuにはもっと、アーティストとして言葉を磨いてほしい。心をもっと研ぎ澄ましてほしい。そう感じています。
ただ、これまでayuと一緒に私は8年間歩んできました。どんな時もayuの声が必ず私のそばにあって、ayuは私にとってもかけがえのない存在です。今、ayuは耳の病をかかえています。でもayuは「MY ALL」を歌ってくれました。
9. Posted by akIo
2008年03月06日 14:05
今回のアルバムではMY ALL Mirror Marionette desicionあたりは許せます。(←すごく偉そうですが・・けど管理人さんならこの気持ちをわかっていただけるかと)ずっと一緒に歩いてきたからこそ、今しっかりとayuを守っていきたいそう思います。なかなかファンはやめられないもんですね笑。ayuの声はもう、生活の一部です。



















